十一面サンタの仏像ばなし

大好きな仏像の魅力を、独断と偏見で書き綴ります。

仏教・路線変更の功罪

◉仏教の暴走
現在の商業映画などにも見られる現象ですが、原作者の手を離れた人気作品は、一気にその意図とは違う方向に進んでいきます。

原作者の名前で話題性を募り、内容は大衆に迎合させ、他会社との売上げ競争が優先されます。

そしてあまりに内容軽視な作品は、一時のブームにとして姿を消していくのが、よくあるパターン。

仏教がこれにぴったり当てはまるとは言い切れませんが、少なくとも原作者の意志とは異なる方向へ走ったことは間違いありません。

当時のインド。仏教の前に消滅寸前のバラモン教は、釈迦入滅の数百年後、周辺の民俗宗教をうまく融合させパワーアップします。
ヒンドゥー教として新生復活し、みるみる勢力を拡大したのでした。

焦った仏教は対抗措置として、大胆な路線変更を試みます。

今で言う「密教」的要素の導入です。

中心仏にして絶対真理「大日如来」を誕生させ、世界を構成する如来、菩薩、明王を続々と作り出し、曼荼羅の元となる壮大な仏教宇宙を完成させたのでした。

ヒンドゥー教の神々を、仏教を護る番犬に設定したり、ヒンドゥー教最高神シヴァ夫妻を踏みつける「降三世(ゴウサンゼ)明王」(画像)なるキャラの登場など、当時の切迫した状況が想像できます。

仏像崇拝を推奨し、「真言」「陀羅尼」といった呪文や、拝火教を連想させる護摩祈祷など、呪術による救済サービスを主力商品に持ってきたりしました。

挙げ句は、性交こそ心の浄化である、みたいな変な教義を押しつけるなど、混迷を深めました。


◉新生仏教の誕生

安易なテコ入れは、シリーズ打ち切りの序章…。

弱り目に祟り目が、
偶像崇拝を極度に嫌う新興宗教イスラム教」の誕生です。
その巨大勢力が一気に押し寄せ、仏教はあっという間に制圧されてしまいます。

仏教は起源を同じくするヒンドゥー教に吸収合併されることを余儀なくされ、こうして元祖・インド仏教は滅びました…

しかし幸か不幸か、そのころ仏教はアジア各地に浸透し、独自の進化を遂げていました。

ノアの方舟的にインド〜中国〜朝鮮と伝播した仏教が日本に伝来したころには、仏教は完璧に日本人向けに改良されており、
仏教=仏像ありき。仏像は信仰の原点!みたいな感じで浸透していきました。

いろいろ紆余曲折があったものの、初期仏教の無謀な路線転換のおかげで、日本は今あるような、世にも稀なる仏像大国に発展したのでした。

めでたしめでたし!