仏像ジオラマ
■ 突然ですがガンダムのお話
古い話で恐縮ですが、世界的に有名な『機動戦士ガンダム』というアニメがありました。
その中で当時、一世を風靡した最終回の名シーンがあります。
傷だらけになったガンダムが頭上の敵に向かって、ビームライフルの最後の一撃を放つ、通称「ラストシューティング」と呼ばれるシーン。
ファンの方はこれだけでありありと目に浮かぶのですが、知らない人は文章で説明するだけではまったく想像がつきません。
これでなるほどと理解してもらえます。
で、もっと世界に入り込みたいファンは、これまた大流行したガンダムのプラモデルで、そのシーンを再現します。
(あまりの出来の良さに写真を拝借してしまいました)
その時代のほとんどのプラモデラーは、一度は必ず完成したガンダムの頭と腕をもいで、空に向かって銃口を向けたものです。
そこにいろんな背景をつけたりして、あたかもそれが実在するかのようにまでリアルに構成したものが、ジオラマとなります。
うまくできれば知らない人に、もっとその世界を感じてもらうことができます。
■ はじまりは仏像から
この立体模型を使った表現方法は、プラモデルが元祖と思われがちですが、先駆けとなる表現は仏像にあります。
例えば、平安時代以降現在に至るまで、ほとんどすべての仏師が一度は作ったことがあるであろう、阿弥陀如来像。
この像は、ただ直立しているのではなく、大半が両手でOKサインを作っる、きっと誰もが目にしたことがある、来迎印のポーズをとらせています。
なぜかというと、これも大流行したワンシーンの再現だからなのです。
『観無量寿経』というお経の中に、
「信仰心を持って生きていれば、臨終の際に、OKサインをした阿弥陀様が迎えにきて、素晴らしい世界につれて行ってくれるよ」
てなことが書かれています。
当然、実際はもっと難しい文章で書かれていて、一般庶民はそんなお経を読める知識もないし、説明を聞いてもピンときません。
そこで仏画など絵を描いて説明し、技術のある人は木で仏像を彫って、シーンを立体化し、信徒を増やしていきました。
それが仏像の大きな役割のひとつなのです。
■ ジオラマのあるお寺
観無量寿経には、阿弥陀さんのポーズだけでなく、お供として菩薩のダンサーズも連れてくると書かれています。
楽器を演奏したり、歌を唄ったり、踊り狂ったり、なんとも賑やかです。
その様子は仏画や、ジオラマに見ることができます。
(鎌倉時代「阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)」京都・知恩院)
阿弥陀様は、こんなゆかいな仲間たちを引き連れて、極楽へいざなってくれるんです。
この阿弥陀さんのお迎えのことを、仏教用語で来迎(らいごう)といい、阿弥陀さんのOKサインを来迎印といいます。
(奈良国立博物館参考資料より)
そしてそのシーンを再現したものは通称「阿弥陀来迎図」とか「浄土変相図」とか呼ばれます。
京都・平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像も、52菩薩を伴った巨大な来迎ジオラマですし(「平等院 雑感」参照)、兵庫・浄土寺の本堂は、自然をも利用した壮大なジオラマです。(「名プロデューサー、俊乗房・重源!」「光の芸術家」参照)
死への恐怖が世間を覆った平安時代に、阿弥陀信仰が日本を席巻した理由がわかります。
さらに、時代をさかのぼって法隆寺五重塔の中には、釈迦如来物語を描いた、これぞジオラマという塑像(土で造った像)が展開しています。▼
飛鳥時代に朝鮮半島から初めて仏教が伝えられたとき、日本の天皇に贈られたのも釈迦如来像でした。
その他、仏像のデザインやポーズはすべて、古代より書き綴られてきた、膨大な数の経典に書かれたシーンを再現したもので、それを見ることによって何も知らない人でも仏教のポイントを理解することができるのです。
お釈迦さんや阿弥陀さんがパンチパーマなのも、お不動さんが怒っているのも、すべてお経に書かれていて、われわれは仏像の姿をどこかしらで目にすることで、誰もが知らず知らずのうちに知識として受け入れてしまっています。
素晴らしい仏像の効果ではないでしょうか。
以上、仏像とジオラマを強引に結びつけてみました。