仏欲
仏像を見たく見たくてしかたがない。
このような気持ちを、巷では仏欲(ぶつよく)というそうです。
今、ぼくの仏欲は、尽きることがありません。
公開日が近づくと、その事ばかり考えて、仕事も手につかないときもしばしば。
あぁ、補陀落山でぼくを見守る観音さま。
寝ても覚めても、この心、常に仏像にあり。
これを信仰心というのでしょうか。
帰依の心とよぶのでしょうか。
嗚呼、オタクと信者は紙一重。
そのぼんやりとした境目を、ぼくはひたすらさまよっているのです。
そもそも仏像とは、煩悩を消し去る目的でつくられたものと聞いています。
ところがその仏像が、ぼくの頭の中を、仏欲という煩悩で満たしているのが現状。
煩悩を消すための煩悩。
仏像がもたらしたその罪業が、翻って、ぼくに与えられた試練だとするのならば、
ぼくはその試練を全身で受け止め、煩悩が消えるまで、仏欲を満たし続けようではないか。
仏欲という煩悩からの解脱を果たすまで…。
要するに、飽きるまでどんどん見仏するよ。そういうこと。