十一面サンタの仏像ばなし

大好きな仏像の魅力を、独断と偏見で書き綴ります。

蔑(さげす)みの仏像

サディスティックな目で諫められたい。


優れた仏像ほど目でものをいいます。

優しく包み込むような眼差しや、カミナリオヤジ的仏像もいいですが、
誰にもしかられることなく、みんなからちやほやされて、甘やかされてきた現代人にとって、
たまにはサディスチックな冷たい目で見つめてもらうのもいいでしょう。

仏像は、ちょっと高い位置に置かれていて、
真正面ではなく、少し手前を見下ろしてるものがいいですね。

瞼が半開きで、伏せ目がち。
無表情で、おもいきり人を蔑んでるような目付きをしたものがありますので、そういうのを選びましょう。

その前に正座して、見上げてください。
きっとその仏像とは目が合います。

仏像は何にも言わず、ただじーっとこっちを見ています。
でも、その目は口ほどに物を言ってます。
「このクズが…」。
「お前のやったことは何でも知ってんだよ」
その心は冷ややかに嘲笑っているかのよう。

でもそんな視線にでも、素直にごめんなさいと言ってしうところが不思議。

土下座している相手を土足で踏みつけるような眼差し。ところがそれがなぜか心地よい。

仏像とぼくの間で、静かなSMが展開されていくのです。

仏像には人の心の隠れている部分を引き出す能力があるようです。

以上、まだぼくが仏像にあまり免疫がなかったころ、閻魔像で有名な奈良市
「白毫寺」
地蔵菩薩立像(スミマセン、画像ありません)を見たとき体験し、見仏熱に拍車をかけた大事件でした。


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