十一面サンタの仏像ばなし

大好きな仏像の魅力を、独断と偏見で書き綴ります。

疑心暗鬼

それにしても、顔が御簾や欄間などに隠れて見えない仏像が多すぎます。

もったいつけて秘仏開帳とかいってるから、わざわざ出向いていって拝観料払って、
それで顔が拝めないというのはいかがなものか、と見仏人としては思うのであります。


信者にとっては、そのお姿に出会えただけでもありがたいのだ、という理屈も分かるし、
あまりはっきり見えてしまうのも、風情がないという考え方もありなんでしょうが、
やはり仏像は顔が命、顔が見られなくては値打ちがないと思うのです。

それ以前に、顔の前を障害物で塞ぐというのは、仏さまに対して失礼だと思います。仏さまでなくても失礼なのに。

また、暗くして見えなくするのもずるいと思います。

この間行ったお寺では、薄暗い廊下の突き当たりに厨子があって、
「中に毘沙門天がおられます」
と書いてありました。
毘沙門天」がいると。

でもいざ見てみると、厨子の中は真っ暗で何も見えません。
本当に漆黒の闇で、あるのかどうかもわからないくらい。

あんまりひどかったので、いけないと思いつつ、ペンライトで厨子の中を照らしました。

中が照らし出されて、目に飛び込んできたのは、なんと、顔が3つ、腕が6本、脚が6本の、牛に乗った仏像。

その像は「毘沙門天」なんかではなく「大威徳明王」だったのです!

ということで、あまりにも見えなさすぎる仏像に対して、ぼくは最近、疑心暗鬼を生じさせつつあるのでした。

お寺さん、よろしくお願いしますね。