十一面サンタの仏像ばなし

大好きな仏像の魅力を、独断と偏見で書き綴ります。

仏教論・娯楽編

前回、読経ロックのことを書きました。

仏教誕生以来、永い年月を経る過程で、
由緒正しく霊験新たかな経典は
観て聴いて、参加して楽しい大衆音楽の要素を得たといえます。

今回も、仏像の話から逸れまくり。

少し小難しい話をさせてください。


お釈迦さまの悟りの教えだけを、独り黙々と忠実に実践すべしとする仏教を
上座部仏教(じょうざぶぶっきょう)」、

みんなで仏教して、ハッピーになろうよって仏教を「大乗仏教(だいじょうぶっきょう)」といいます。
日本の仏教は、ほぼ総てが大乗仏教です。

大乗仏教では、一般人にも解りやすいように
如来、菩薩、明王、天部などのキャラクターが産み出されました。

総ての衆生をタダで救う、観世音菩薩や阿弥陀如来などは、大乗仏教の最たる象徴です。

日本に伝来した当初から
八百万の神々と同一化されるなど、日本人の都合のいいように拡大解釈され普及していきました。

そして鎌倉時代あたりからは、新興宗派が乱立
信者獲得にしのぎを削るようになります。

信者を増やすためには、大衆の興味を引かねばなりません。

教義なんてのは二の次で
人を集めてナンボのもん。

そう割りきって、面白いことを全面に打ち出し、大衆に傾倒しなければ
当時の一大仏教ブーム、宗派戦国時代を制することはできなかったのでしょう。

一遍という僧侶なんかは
南無阿弥陀仏」と唱えるだけで
信仰心があろうとなかろうと、悪人善人総てが極楽へ行けます
なんてことを言いだします。

それでも足らずに、念仏を唱えながら躍り狂う「躍り念仏」まで広める始末。

釈迦のオリジナル仏教は壊滅寸前です。
愚直に菩薩修行してる人にとっては、邪教集団百鬼夜行という感じでしょうねえ。

それでも、大衆を味方につけた当時の邪教宗派は
こんにちまで健全なメジャー宗派としと生き残ってきています。

ちなみに躍り念仏は、現在の盆踊りのはしりとも謂われます。

中世以降、仏教はまさに大衆の娯楽とともに発展してきたといえるでしょう。

教義としての仏教と、娯楽としての仏教。

この日記の「邪鬼の本懐」で記した、表裏一体の関係がここにも顕著に見えてくるのです。

仏像についていうと
もっと前から、もしかしたら仏像が作られるようになったその時から、
娯楽としての役割を担ってきていたように思うのです。
つづく〜