十一面サンタの仏像ばなし

大好きな仏像の魅力を、独断と偏見で書き綴ります。

聖地・奈良

去る11月3日、「平城遷都1300年祭」のメイン会場でのイベントが
来場者数363万人突破という報告を以て終了しました。(祭自体は今年いっぱい続きます)
20年前に開催された「シルクロード博」が680万人を集客したのに比べると少し寂しい感じですが
不景気の折、予算やイベント内容などの制約の中、これだけの人数を集めたということは
大成功と言って良いでしょう。非常に喜ばしいことです。

ただ、奈良という街は、こういうディズニーランド的な万人向けの華やかさではなく
もっと厳かなものであってほしいという、ぼくのわがままな理想もあります。

ぼくは、仏教というのは本来、オタク文化だ思うのです。
現世を生きるために、現世以外のものを拠り所にしているところなど、オタクの生き様にそっくりではないでしょうか。
様々な仏キャラが生み出され崇拝されているところなどもそうです。

我が国に仏教が爆発的に浸透した原因には
島国の引きこもり民族のオタク的遺伝子が
古代から脈々と受け継がれてきたことにあるのかも知れません。
アニメオタクは何十年もの間、水面下で勢力を伸ばしながらやがて市民権を得
ついには政治の場にまで取り上げられるようになりました。
これを嘆かわしいことと考えるか、独自の文化であり誇りととらえるか、複雑なところではありますが
かつてのパソコンオタクが今や時代の寵児となり
パソコン音痴は世の中から取り残されつつある事を考えると
簡単に無視してもいられないところまで来ているということでしょう。


仏教にはかつて何百年もの間、時代を席巻した経歴があります。
しかし、仏に救いを求める時代は終わりました。

「古都・奈良」のお題目を唱え
阿修羅像人気に始まる仏像ブームに乗っかり
癒し系デザインの仏像キャラクターを並べて、何とか人気をとろうと頑張っていますが
大衆に傾倒している以上、これが文化にまで発展することはあり得ないのです。

古都・奈良はもう古い。
時代は新しいカリスマを求めています。

日本仏教発祥の地、奈良は古都ではありません。

「聖地・奈良」

これが奈良の本来の姿なのです。

見仏などの新しい見地が文化として浸透し、古仏巡礼ををこよなく愛する、多くのオタクたちが厳かに集う場所。

これこそが、華やかな京都に対して、奈良が積極的に担っていくべき役割ではないでしょうか。