東寺雑感(東寺2)
◉完成度の高さゆえ…
前回の続き。
作家のみうらじゅんさんは、かつて雑誌で、東寺講堂の立体曼荼羅を、仏像好きを判定するリトマス試験紙にたとえて、
「初心者の人で、東寺の立体曼荼羅を見てぐっとこないひとは、仏像を好きになれないかも」
という旨のことを書いて絶賛しておられました。
しかしながら、ぼくは立体曼荼羅を見たとき、大いに感心はしたものの、
ぐっときたかと言われると、あまりぐっとはきませんでした。
ぼくがすでに初心者を卒業してるかどうかはわかりませんが、
結論からいって、
ぐっとこなかった理由は、
立体曼荼羅の完成度の高さ所以だと思います。
立体曼荼羅のみならず、
東寺は、鎮護国家を目的とした寺院の、ひとつの到達点のように感じます。
仏像一体一体の完成度が極めて高く、
その配置も、曼荼羅という完成された教義にのっとって、整然となされています。
◉都の存亡をかけた寺院
時の天皇は、腐敗した平城京のイメージを払拭するためか、
国家予算の限りを尽くして、
東大寺、西大寺に見劣りしない、東寺、西寺というふたつの大きな教王護国寺を、平安京の南玄関に建立しました。
また、東寺が落慶した20年後、寺を一任された空海は、国家の全面的にバックアップを受けて、
心ゆくまで自分の密教イメージをパフォーマンスしていきました。
奈良時代には飢饉や疫病が蔓延し、ワラにもすがる想いと執念で、大仏殿が建立されました。
東大寺には当時100m級の塔が存在したとも言われています。
それに対して、平安時代になると、
国はある程度裕福になり、
政治の体制基盤も確立され、
そのため寺院建築を妨げる要因はほとんどなくなったのでしょうか、
東寺は東大寺級の規模に迫りながらながら、
その完成度において、東大寺をはるかに凌ぎ、しかもなにか余裕のようなものを感じさせます。
もっというと、やりたいことをやり尽くしたというか、
これ以上、やることがないところにまでに達してしまったかのようにも感じるのです。
その完成度の高さゆえ、それほどぐっとくることはなかったのだと思います。
ポスターが、梵天さまなのも、完璧な仏像群のなかで、異彩を放っている数少ない仏像のひとつだからなのでしょう。
やはりぼくには、平城の都のまだ煮詰まっていない、
危なげながらもバラエティーに富んだ仏像のほうが合っているような気がします。
とはいえ、京都はまだデビューしたばかり。
これからは京都方面にも徐々に見仏範囲を広げ、見地を深めていこうと思います。
●東寺(教王護国寺)
拝観時間 夏季(3/20〜9/19)AM8:30〜PM5:30(受け付け終了PM5:00)
冬期(9/20〜3/19)AM8:30〜PM4:30(受け付け終了PM4:00)
駐車場あり600円/2時間(乗用車・以降1時間ごとに+300円・1/1〜1/5は1000円)