十一面サンタの仏像ばなし

大好きな仏像の魅力を、独断と偏見で書き綴ります。

平安セレブ堂 Part2(蓮華王院三十三間堂)

本格的な京都見仏。
予告どおりセレブ寺院を頭に持ってきました。
「蓮華王院」
通称、三十三間堂です。

兄の崇徳天皇にして「能もなく芸もなし」、源頼朝にして「日本国第一の大天狗」と酷評させた、天下のダメおやじ、後白河上皇の創建。

その場しのぎの当てずっぽう政治の傍ら、音楽から絵巻物、女遊び、果ては男遊びまで、道楽という道楽をやり尽くした末、最高権力者、平清盛に命じて自宅の敷地内に造らせたのが、三十三間堂を含む大伽藍でした。

こっちの端から向こうの端がまったく見えない、全長120mもの長大な堂宇の中にびっしりと敷きつめられた、千体の千手観音像、その四万本の腕、針の山のような無数の放射光背が、一気に視界に飛び込んできた瞬間は、圧巻以外何物でもありません。

金色に光る一万の顔が無表情で、こっちを見据えている様は、映画『マトリックス』のエージェント・スミスの比ではなく、
驚きのあまり、一瞬、声も体も固まるというもの。
後白河上皇も、来賓を招待したときのこんなリアクションを見て喜んでいたのでしょう。

父の鳥羽上皇も千体阿弥陀仏を造ったというから、対抗意識でさらに見栄えのいい千手観音にしたのかもしれません。

かの伝説の仏師運慶も、何躯か観音像を作らさせられていたようですが、伝・運慶像(あくまでも「伝」)を見てみると、これがなぜか突出して低レベルなんです。下手くそさで異彩を放っていました。
とても信じられません。
三十三間堂は1165年に創建、運慶は1224年没(生年不詳)だから仮に運慶が享年80歳の長寿だったとしてこれを掘ったのは若干21歳ということになり、恐れ多くも練習用に彫った観音像、もしくは運慶作ではないのだと思いたい。

結局、上皇の死後、伽藍は戦禍で焼失、観音像も伝運慶像を含む百数十躯を残して殆どが焼けてしましました。
数十年後、他の伽藍はともかく、せめてこの世にも稀に見る三十三間堂だけは蘇らせたいと考えたのでしょう、
鎌倉時代後期、当時の最高仏師たちのドリームチームが編成されて、現在に残る観音像が復元されたわけですが、運慶の嫡男、湛慶作の中尊、つまり、中央の本尊はかなりの出来映え。
静かな表情ながらもこの本尊だけで、他の千体にも勝る威厳と迫力があり、羅列された千体の仏像が、本尊を要としてひとつにまとまっているような気がします。

広い駐車場が無料なのもいい。
混雑期だから40分くらいでお願いしますねといわれてたのですが、何のかんの言いながら気がつけば1時間くらい拝観してしまいました。

毎日だと胃もたれを起こすけど、たまに無性にほしくなる、ケンタッキーフライドチキンのようなパワースポットでした。

三十三間堂(蓮華王院)
 拝観時間 AM8時〜PM5時(11月16日〜3月はAM9時〜PM4時・終了の30分前まで受付)
 拝観料 600円
 駐車場あり(無料)


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