十一面サンタの仏像ばなし

大好きな仏像の魅力を、独断と偏見で書き綴ります。

縄文人の遺伝子(東京国立博物館2)

なんと前衛的デザインでしょう。

東京国立博物館縄文時代の実物を初めて見て魅了されました。
エネルギーに満ちた火焔土器のフォルム。
人型を逸した土偶のミステリアスな容姿。

縄文時代の文化は、想像をはるかに超えたロマンを秘めています。

今回の見仏日記は"像"つながりで、強引に土偶、その中でも
「遮光器土偶(シャコウキドグウ)」"についてのお話です。
遮光器、つまりサングラスをかけたようなという意味。
その容姿から古代宇宙人説まで飛び出した、
最も特異で最も有名な形の土偶です。
このタイプの土偶は、縄文時代の晩期に東北地方で広まりました。

日本最古の仏像は、552年の仏教伝来とともに百済から献上された、善光寺阿弥陀三尊ですが、
土偶はそれを遡ること数千年、
まだ自然界の万物が神と悪魔であったアニミズムの時代に、
日本の土着の縄文人の手によって作られていました。

特にこの遮光器土偶からは、
人の力が及ばない、見えない何かに対する、ただならぬ恐怖と抵抗を感じます。

大きな目、太い円錐形の四肢、
全身を覆う幾何学模様、うねり立つ頭部。

恐ろしい悪魔に対抗できる、いわば不動明王のような存在として生み出されたのかもしれません。

もげた左脚は破損したのではなく、わざと破壊した可能性があるそうです。

定説では、病に冒された部位を打ち砕くことによって、病巣に巣くう悪魔を摩滅したのだといいます。

巫女が霊魂などと交流することをシャーマニズムといいますが、
きっとこの地方では、最先端のシャーマニズム文化をもつ、独自の文明が花開いていたことでしょう。

このセンセーショナルな文明は、弥生時代の到来を待たずして、なぜか終焉を迎えますが、
1万年以上続いた縄文の文化は、
同じ精神が宿る、アイヌ文化の原型へと形を変えて、全国に伝播したと、ぼくは考えます。

そして邪馬台国などの文明を経た後、
朝鮮半島からの渡来人(我々の祖先)の侵略を受けた彼らは、
東北に逃げ戻り、いわゆる蝦夷(エミシ)となって、
長い間、中央政権政府に抵抗を続けることになったのだと思います。

現在、ほぼ絶滅状態の日本の土着文明ですが、
そのアニミズム精神とシャーマニズム文化は、渡来人がもたらした仏教文化と融合し、
今なお、神仏習合や山岳、霊木信仰として、根強く息づいているのです。

…よかった、仏像と話が繋がって。