謎とロマンの達身寺(達身寺1)
古代の寺院は、その縁起が不確定なものが多く、
東大寺などの官寺を除いて、ほとんどが後世の史料からの推測に頼らざるを得ないのが実状です。
そんな中でも、村人の夢とロマンを秘めた謎の寺が、
先日訪れた、兵庫県丹波市の「達身寺」。
人はこの寺を、"丹波の正倉院"と呼びます。
話題になっているのは、達身寺そのものではなく、素性のまったく分からない前身の寺(寺名不明)とその仏像たち。
戦国時代、くだんの寺が明智光秀の兵火に見舞われたとき、
仏像を守るために、僧や村人たちがとっさに山や谷に隠したものを、
江戸時代に拾い集めて、今の寺に納めたもの。
と、ここまではよくありそうな話なんですが、
しかしその仏像の量が半端ではありません。
今まで知られているだけで80躰以上。
そのほとんどが重要文化財指定です。
これが丹波の正倉院と呼ばれる所以でもあります。
長年、野ざらしになっていたため、
ほとんどは、腕がもげたり、貌が欠けたりと欠損がひどいのですが、
そんな仏像が、ずらりと宝物庫の雛壇に30数躰並んでいる光景は、異様な迫力があります。
なにより貴重なのは、寄せ木造りの仏像が、パーツごとに展示されていること。
発見されたときは、接着剤の膠(ニカワ)が剥がれて、
作成前のプラモデルのようにバラバラになってしまっていたんです。
こんなものが見られるお寺は初めてでした。
そんなわけで、この寺の寄せ木造りの仏像は、みんな分解してしまって、
屋内に隠されていたご本尊とその脇侍の3躰だけしか残っていません。
残りはすべて一木造りになります。
さて、この寺の謎というのは、
同種の仏像が多数あって、うち何躰かは未完成だということ。
特に、兜跋(トバツ)毘沙門天という特殊な種類の仏像が16躰もあるのが最大の謎。
日本で兜跋型が流行した時代という記録はないから、
普通、こんな像は一寺に一躰あれば十分なんです。
また、ここの仏像の大半は、なぜかお腹が出ています。
肥満系のお腹ではなく、妊婦さん系のポッコリお腹。
このポッコリ仏像は"達身寺様式"と呼ばれていますが、何を意味するのかは不明。
昨年、大学による学術調査が50年ぶりに始まったということで、
これにって、どれだけ謎が解明されるかが注目されます。
謎の解釈とロマンの核心部分は、また次回。
つづく