十一面サンタの仏像ばなし

大好きな仏像の魅力を、独断と偏見で書き綴ります。

不滅の王者 不空羂索観音(東大寺法華堂)

須弥壇の修理のため閉鎖されていた東大寺法華堂が2年半ぶりに公開され、ついにご本尊・不空羂索観音を拝観できる日がやってきました。

ぼくが見仏趣味を始めた時には、すでに法華堂の修理は始まっていて、雑誌や写真記事が、ぼくの情報のすべてでした。
昨年4月12日の日記でも書いたように、出会ったときの姿が最悪だっただけに、法華堂本尊としての不空羂索観音の拝観は、見仏を始めて以来の念願のひとつだったのです。

法華堂は、東大寺が立てられる前からこの地に建てられていた、金鐘寺(こんしゅじ)という寺院のなかの、羂索堂というお堂でした。
文字通り、不空羂索観音を祀るために造られたお堂です。
東大寺では最古のお堂で、本尊も東大寺では最古級の仏像です。

リニューアルして帰ってきた法華堂の仏像が、完全に元どおりになって戻って来たかというと、そうではありません。
例えば、本尊の脇侍的存在だった日光・月光両菩薩は戻ってきませんでした。
これらは塑像(材料が土)なので、大地震の際に倒壊しないよう、免震構造東大寺ミュージアムに移転されたそうです。
結局、戻ってきたのは10体だけでした。
創建当時にここにあったであろうというものだけを残したかたちになりました。

修理後、外陣(拝観する場所)が妙に新調されてしまって、そこを見てしまうと興ざめなんですが、もともと拝殿は鎌倉時代に増築された棟です。
天平の風を満喫するには不要な部分なので、視界から消してしまいましょう。


さて、宝冠を掲げ、光背を背負い、すべての持物を取り戻した不空羂索観音は、それはそれは荘厳で、力強く、威厳がありました。
運慶、快慶の仏像のような繊細さや美しさはありませんが、それを凌いで余りある迫力というか勢いというか、問答無用で敵をひれ伏せさせる、圧倒的な力を感じます。
自然体に堂々と屹立する体躯と優雅に広がる八本の腕、そして心の裏まで見通すかのような静かな眼差しは、一言でいうと王者の風格でしょうか。

仏像が減って、さぞかし内陣はさみしくなったんだろうなって思ったんですが、
意外にもスッキリして見やすい。
逆に、御本尊のオーラが存分に暴れまわれるスペースが確保できたって感じです。

奈良時代は、寺院や仏像に国家予算があてられ、全国に次々と公営寺院が建てられました。
なぜなら、疲弊した国家の存亡を、天皇が仏に託したからです。
だから、奈良時代の仏像には一体一体、造り手の命運をかけた想いが込もっているのでしょう。

法華堂の不空羂索観音像は、興福寺の阿修羅像とおなじ、脱活乾漆造り(だっかつかんしつづくり)という造型法です。
つまり全身が漆づくし。
木彫とは一味違う威厳は、こんなところにもあるのかもしれません。
今も昔も漆というのは高価なもので、国家プロジェクトだったからこそなしえたクオリティーだといえましょう。

東大寺建立から1300余年、その間大仏殿はしばしば戦火の中心におかれ、また大災害の只中に身をさらし、何度も焼失の憂き目に遭っています。
そんな災厄をかいくぐり、運命に守られるようにして、現代に当時のままの勇姿を残した、不空羂索観音をはじめとする東大寺の諸尊。
造り手の魂が乗り移ったかのような、なにか恐ろしいくらいの執念のようなものを感じてしまうのは、ぼくだけでしょうか。

東大寺法華堂
 拝観時間 11〜2月 8:00〜16:30 
      3月    8:00〜17:00
      4〜9月  7:30〜17:30
      10月  7:30〜17:00
 拝観料 500円
 駐車場 あり(有料)