十一面サンタの仏像ばなし

大好きな仏像の魅力を、独断と偏見で書き綴ります。

歴史的主役交代劇(東大寺四月堂1)

一般にはあまり知られていませんが、東大寺には二月堂、三月堂のほかに、四月堂というお堂があります。

お水取りが行われる有名な二月堂の他に
ぼくの大好きな不空羂索観音がおわします法華堂、これが通称三月堂、
そして、そのふたつ影に隠れてひっそりと佇んでいるのが、三昧堂(さんまいどう)と呼ばれる小さなお堂で、毎年四月に法華三昧会(ほっけさんまいえ)という法事が行われたことから、いつしか四月堂と呼ばれるようになりました。

四月堂の御本尊といえば、ふくよかな体から、はち切れんばかりのムチムチの腕が42本、ひしめき合いながらウネウネと伸びていて、
高さ266cmのどっしりとした風貌で見るものを圧倒する千手観音立像です。
静かな中に厳しさを合わせ持った表情は、何事にも動じない決意を感じさせます。

写真を見てもわかるように、量感のある上半身に比べて、下半身が極端に短くなってしまっているため、そこを作品の欠点として指摘される向きがある仏像なんですが、
脚を短くすることで全体としてきれいな扇形が見事に形成され、さらに上半身が強調されることにより強烈な印象を与えることに成功しています。
足の短さは欠点ではなく、作者の意図的な演出だとぼくは考えるのですが、どうでしよう。

ところでこの四月堂、法華堂の修理の完了を待って、45年ぶりの内部修復作業に入りました。
その発表と同時に、作業終了後に御本尊の交代が発表され、ファンを賑わせました。
江戸時代から数百年にわたり、四月堂の御本尊であった千手観音が、東大寺ミュージアムに移されることになったのです。
いったいいかなる事情があったのか。
拝観停止時期の張り紙には、千手観音像がお堂に比べて大きすぎるという理由が述べられていたのですが、それにしても何百年も続いた本尊をあえて今、引越しさせる必要もないはずと思い、
四月堂の係のおじさんに尋ねてみたところ、「お寺の都合で申し訳ないんですが…」と苦笑いしながらも教えてくれました。
そこには東大寺の、観光寺院としての切実な問題があったようです。

東大寺の新名所として颯爽と登場した東大寺ミュージアム
初代の目玉として、当時修理中だった法華堂の、不空羂索観音立像が選ばれました。
ガラス張りのディスプレイは、まさにこの不空羂索観音のためにあつらえたような、大きなものでした。

不空羂索観音と日光・月光両菩薩)

月日は流れ、今年の5月に法華堂の修理が終わり、御本尊は無事、もといた場所に帰ることができました。
そこでめでたしめでたしと喜んでいられないのが東大寺ミュージアムです。
不空羂索観音があったその巨大な空間を埋められるだけの花形がいなくなったのですから。
試行錯誤した結果、白羽の矢が立ったのが四月堂の御本尊、千手観音立像でした。

大きさこそ362cmの不空羂索観音には及びませんが、その力強さと、見るものに与えるインパクトは引けを取りません。
おじさん曰く「これを栄転と言っていいのかどうか複雑なんですが」、四月堂の御本尊は東大寺ミュージアムの顔として、第二の人生を過ごすこととなったのです。
新しい観光名所の活性のため、安泰の地位と安住の地を譲り渡した四月堂千手観音、これも衆生を救う彼の本願なのでしょうか。

話はまだ終わっていません。
もう一つ大事な問題が残っています。
四月堂の新しい御本尊のシンデレラストーリーは、次回の講釈で。

つづく

不滅の王者 不空羂索観音(東大寺法華堂)

須弥壇の修理のため閉鎖されていた東大寺法華堂が2年半ぶりに公開され、ついにご本尊・不空羂索観音を拝観できる日がやってきました。

ぼくが見仏趣味を始めた時には、すでに法華堂の修理は始まっていて、雑誌や写真記事が、ぼくの情報のすべてでした。
昨年4月12日の日記でも書いたように、出会ったときの姿が最悪だっただけに、法華堂本尊としての不空羂索観音の拝観は、見仏を始めて以来の念願のひとつだったのです。

法華堂は、東大寺が立てられる前からこの地に建てられていた、金鐘寺(こんしゅじ)という寺院のなかの、羂索堂というお堂でした。
文字通り、不空羂索観音を祀るために造られたお堂です。
東大寺では最古のお堂で、本尊も東大寺では最古級の仏像です。

リニューアルして帰ってきた法華堂の仏像が、完全に元どおりになって戻って来たかというと、そうではありません。
例えば、本尊の脇侍的存在だった日光・月光両菩薩は戻ってきませんでした。
これらは塑像(材料が土)なので、大地震の際に倒壊しないよう、免震構造東大寺ミュージアムに移転されたそうです。
結局、戻ってきたのは10体だけでした。
創建当時にここにあったであろうというものだけを残したかたちになりました。

修理後、外陣(拝観する場所)が妙に新調されてしまって、そこを見てしまうと興ざめなんですが、もともと拝殿は鎌倉時代に増築された棟です。
天平の風を満喫するには不要な部分なので、視界から消してしまいましょう。


さて、宝冠を掲げ、光背を背負い、すべての持物を取り戻した不空羂索観音は、それはそれは荘厳で、力強く、威厳がありました。
運慶、快慶の仏像のような繊細さや美しさはありませんが、それを凌いで余りある迫力というか勢いというか、問答無用で敵をひれ伏せさせる、圧倒的な力を感じます。
自然体に堂々と屹立する体躯と優雅に広がる八本の腕、そして心の裏まで見通すかのような静かな眼差しは、一言でいうと王者の風格でしょうか。

仏像が減って、さぞかし内陣はさみしくなったんだろうなって思ったんですが、
意外にもスッキリして見やすい。
逆に、御本尊のオーラが存分に暴れまわれるスペースが確保できたって感じです。

奈良時代は、寺院や仏像に国家予算があてられ、全国に次々と公営寺院が建てられました。
なぜなら、疲弊した国家の存亡を、天皇が仏に託したからです。
だから、奈良時代の仏像には一体一体、造り手の命運をかけた想いが込もっているのでしょう。

法華堂の不空羂索観音像は、興福寺の阿修羅像とおなじ、脱活乾漆造り(だっかつかんしつづくり)という造型法です。
つまり全身が漆づくし。
木彫とは一味違う威厳は、こんなところにもあるのかもしれません。
今も昔も漆というのは高価なもので、国家プロジェクトだったからこそなしえたクオリティーだといえましょう。

東大寺建立から1300余年、その間大仏殿はしばしば戦火の中心におかれ、また大災害の只中に身をさらし、何度も焼失の憂き目に遭っています。
そんな災厄をかいくぐり、運命に守られるようにして、現代に当時のままの勇姿を残した、不空羂索観音をはじめとする東大寺の諸尊。
造り手の魂が乗り移ったかのような、なにか恐ろしいくらいの執念のようなものを感じてしまうのは、ぼくだけでしょうか。

東大寺法華堂
 拝観時間 11〜2月 8:00〜16:30 
      3月    8:00〜17:00
      4〜9月  7:30〜17:30
      10月  7:30〜17:00
 拝観料 500円
 駐車場 あり(有料)

受難の仏像(和歌山県立博物館)

高野山のお膝元である和歌山県立博物館が、珍しい企画展を開催しているときいて行ってきました。

和歌山県では平成20年ごろから、仏像の盗難が相次いでいました。
2年後犯人は逮捕されましたが、ほとんどの仏像は売りさばかれた後でした。
その後も仏像の窃盗事件は、全国であとをを断ちません。
そんな実状を広く一般の人たちに知ってもらおうと、盗難被害品や損壊された残欠などを公開し、対策を考えるという類をみない企画です。

犯人のアジトには持ち主のわからない仏像がたくさんありました。
つまり、被害届が出されているものについては、持ち主に返還することができますが、住職のいないお寺や、村の片隅にポツンと建てられたお堂にひっそりと置かれている仏像などは、盗まれたこと自体気づかれていないものもあり、被害者が特定されません。

普通、持ち主のわからない盗難被害品は、証拠品として警察で保管され、裁判の結審とともに処分されます。
でも今回は警察の計らいで博物館に預けられ、それがきっかけでこの企画が実現したそうです。
証拠品を民間委託するのは異例なことで、和歌山県警もなかなか粋なことをしてくれます。

展示された仏像は、それはそれは痛々しい状況でした。
首はもげるわ脚は折れるわ、脇侍や眷属が足りないわ…
何代にも渡って村人たちが受け継ぎ、大切に信仰してきたものばかりです。
まあ損壊した仏像は、数知れず見てきたんですが、これが災害や戦争ではなく、欲に駆られたひとりの人間の手によるものだということに、ひどく寂しさを感じました。
当館は展示されている仏像の持ち主を探すという涙ぐましい試みの他、自然災害からいかに文化財を守るかという研究も行っていて、博物館スタッフの危機感、そして本気と気合をひしひしと感じました。


こういう活動は和歌山だけにとどまらず、全国に広がっていってほしいものです。
本当は、無数の文化財を抱える奈良や京都が先頭に立って行わなければならないことなのに。

地方の過疎化とともに、仏像を管理する人の数も減り、盗難が相次ぐ。
今は仏像にとって、まさに受難の時期といえます。
さらに、信仰の希薄化とともに、文化財であるはずの仏像は、もはや日本文化の外に追いやられつつあります。
何百年もの間、人々を支え続けてきた仏像たちがその役割を失った時、彼らは何を望むでしょうか。
今度はわれわれが仏像に恩返しをする、そんな時期が来てるような気がします。



開館時間 午前9時30分〜午後5時(入館は閉館の30分前まで)
常設展入館料 一般 280円
休館日 月曜日(ただし祝日の場合は、その翌平日)
    年末年始 臨時休館日(展示替え期間など)
駐車場 あり

企画展公式サイト
http://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/junan/frameset.htm


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召喚される神仏(RPG的 密教入門2)

前回の続き。

密教の呪文(真言)で召喚される神仏は、主なものだけでも約100種以上に及びます。
それぞれが独特な姿かたちをしていて、自慢の武器や乗り物、また特殊能力を持っています。
例えば

★攻撃系
不動明王
炎の龍に変わり敵を貫く、無敵のクリカラ剣

孔雀明王
孔雀に乗り、害を及ぼす毒蛇や毒虫を一匹残らず駆逐する

普賢菩薩
大地を揺るがし、大魔王の宮殿さえ倒壊させるオーラパワー

★回復系
薬師如来
全員のHPやステータス異常を全回復させる。
12人の闘神と84000人の夜叉に守られている

地蔵菩薩
神通力で全員のダメージを身代わりに引き受ける

★オールマイティ
大日如来
究極にして最強の仏。
万物の源であり、全宇宙を包み込む無限の光であり、宇宙そのものでもあるという謎の存在。
最終奥義を極めた者だけが出会うことができ、自身も仏になることができる。

観音菩薩
助けを求める悲鳴を察知する千里眼
あらゆる状況に応じて33種の職業に転職して人を救う。

などなど。
また、それぞれにサイトストーリーまで用意されています。
有名どころを紹介しますと、

弥勒菩薩
お釈迦さまが生前、自分亡き後の世界を託したのが、この弥勒菩薩
次にこの世界に如来となって降臨(仏教的には来迎といいますが)し、民を導くのはこの弥勒菩薩なのである。
その時期は今から56億7千万年後。
仏の時間では一瞬の時間なのだが…

★阿修羅
帝釈天に娘を騙し取られ、怒り狂った阿修羅は、鬼神となって何度も帝釈天に戦いを挑むがそのつど敗れ、ついには修羅道に落とされたところをお釈迦さまに救われる


さて、そんな多種多様な神仏を召喚して、フルに活用するのが真言宗です。
だから、真言宗のお寺には多種多様なかっこいい仏像が祀られていて見仏には最適なのですね。

平安時代は、陰陽師という占星術師が国の技官として働いていました。
ようするに、魔法のようなものが奨励、研究されて、どんどん発達していた時代です。
当時の科学では解明できない災厄を、鬼や悪魔、怨霊など魑魅魍魎の仕業として、それを打ち倒す力が必要とされていたんです。
召喚魔法を使う密教が大流行したのも頷けます。

でもこれは程度の差はあれど今も昔も変わりません。
現在でも、解明できない失踪事件とかを、本気でUFOのせいにしたりしますもんね。
悪運が続くとお祓いに行ったりもしますし、当時の人々を笑えるのはまだまだ先になりそうです。

(注)本文はあくまで仏像のキャラクターのみに注目したもので す。
真言宗弘法大師空海の教義に基づいたもので、呪術に依存する宗教ではありません。念のため。

RPG的 密教入門

日記の更新もせずぼーっとしてる間に、年が明けて早や2月。
自分を諌めて、雪の高野山に初見参、初見仏してきました。

高野山といえば密教真言宗
比叡山と並び、日本の密教の原点にして総本山です。
仏像を楽しむのに、密教ほど最適な宗派はありません。

密教って怪しい響きですが、とっつきやすくRPG風に説明させていただくと、呪文とかアイテムとかを駆使して、不思議な力を手に入れていく宗派です。
戦う相手は、人間の俗な心。
そして最終目的は、自分自身が仏になることです。

正確に言うと仏になるのではなく、真言宗曰く、私たちは生まれた時からすでに仏なんだそうです。

俗と欲にまみれた肉体と精神が自身を覆い、まだ埋れている仏が覚醒していないだけ。
大抵の人は覚醒しないまま生涯を終えてしまいます。
その、まとわりついている余分なものを消し去って、本来の仏の姿に還ろうではないかという、いわゆる即身成仏を真言宗は目指しています。

そのためにはお釈迦さんが説く、幸せに生きるための方法論だけではだめで、ましてや南無阿弥陀仏と念じるだけでよしとするような生ぬるいものでは絶対に成し遂げられないのです。

密教では大日如来をはじめとする、いろんな種類の仏や神の力をお借りします。
RPGでいうと「召喚魔法」。
イメージとしてはそんな感じでしょうか。

仏像を前にして、法具を揃えて護摩壇に火を炊いて、ナウマクサマンダバサラダン…など、召喚の呪文を唱えます。
ちなみにこれは、不動明王を召喚する呪文の一部です。
この呪文を密教では真言マントラ)といい、真言宗の名前はここからきています。

煩悩というモンスターを倒して経験値やレベルを上げていき、時には仏の力で人を救い、さまざまな修行を極め、MAXレベルまで達したものだけが、最強のスキル、即身成仏を成し得ることができるのです。

レベルを上げる方法としてはいろいろありますが、例えば真言宗でいうと、
瞑想したり、氷点下の朝に毎日冷水を浴びたり、
床にひれ伏す-立つといった動作を108回繰り返す、五体投地という荒業を行ったり、などなど。

なぜこれで即身成仏ができたり、仏が召喚できたりするのか、言葉では説明できません。
愚直に修行を続けて、自分で体得するしかないんです。

しかしながら、素人が手を出して、やり方を間違えると、命さえ危険な場合だってあります。
だから一般人にはおいそれと教えられない秘密仏教、略して密教というわけなんです。

次回は召喚する仏たちについてです。

〜つづく〜

光の芸術家(浄土寺2)

前回の続き。

平家の南都焼き討ちで灰燼に帰した東大寺を再建したのは、俊乗房重源というお坊さんでした。
この時用いた建築様式は、重源さんが中国(宋)から持ち帰ってきた、大仏様(だいぶつよう)と呼ばれる最新のものでした。
最大の特徴の一つに、あえて天井を張らずに、柱と梁(ハリ)だけで屋根を支えているという建築方法があります。
天井がない分、屋根の高さをいっぱいに使って、仏像をつくることができます。

東大寺で現存する大仏様は、仁王さんのいる南大門のみですが、真下から見上げるとこんな感じ。

約800年間、風雪に耐えてきたのだから、驚異的な耐久性と言えましょう。

この大仏様は、兵庫県小野市の浄土寺本堂にもつかわれているのですが、プロデューサー重源はこれを応用して、驚くべき演出を施しました。

夕日が浄土寺本堂内に差し込むと、あたかも本尊阿弥陀如来が来迎したかのような錯覚を覚えるということは前回述べたところですが、
ただ、いくらまばゆい斜陽光でも、それだけでは、ここまでの来迎シーンを表現することはできなかったと思います。

ポイントは大仏様に組まれた梁にありました。

本堂の屋根を支えるために幾重にも張り巡らされた梁が、見事なまでの放射状を織り成しているではありませんか。
梁自体が、本堂全体をあまねく照らす無量寿光に見立てられているのです。
このことに触れている文献がまだみあたらないので、ぼくの独りよがりかもしれませんが、本尊を正面から拝したときの強烈な第一印象です。

この放射形は、背面の格子窓から差し込む陽の光の効果を何倍にも増幅させることに成功しています。
それだけではなく、堂内を実際よりも広く、そして三尊をより大きく感じさせるとともに、迫り来るような迫力を与えています。

東大寺復興に尽力したことばかりが取り上げられる重源上人ですが、彼は自然と建築を見事に融合させた、光の芸術家でもあったのです。
それだけに、彼が復興させた第二次大仏殿が、またも戦火によって焼失してしまったことが、残念でなりません。

浄土寺
拝観時間 午前9時〜午後0時 午後1時〜午後5寺(10月〜3月は午後4時まで)
拝観料 500円
駐車場 あり


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名プロデューサー、俊乗房・重源!(浄土寺1)

太陽が西に傾き、ほどなく日没を迎えようとする頃、
その空間だけは、まばゆい朝を迎えます。

薄暗い浄土堂に、徐々にが光が充ち満ちてきたかと思うと、
金色に輝く、巨大な阿弥陀如来が降臨します。

その正体は、鎌倉時代の高僧、俊乗房重源(シュンジョウボウ チョウゲン)が仕掛けた、
壮大なイリュージョンでした。

兵庫県・「浄土寺」は、陽光が極楽浄土を描き出す、特殊な演出が施されていることで有名な寺院です。
重源というお坊さんが造りました。

重源さんは平氏の南都焼き討ちで全焼してしまった、東大寺の大仏殿の再興の立役者ですが、
その前の景気づけにプロデュースしたのが、この浄土寺なのです。

その重源を仏法の師と仰いでやまなかったのが、かの名仏師・快慶で、
浄土寺浄土堂には、快慶が師匠のために彫り上げた三尊像が隆々とそそり立っています。

高さ5.3mの阿弥陀如来と、その脇に寄り添い侍る3.7mの2体の菩薩像。
その大きさもさることながら、
心の奥を見透かすように強く、それでいて慈悲深い視線。
見る角度によって変わる目の表情の多彩さは、他の大仏にはない奥深いものを感じます。
まさに、快慶渾身の一作といえましょう。

ノリにノッていた重源は、浄土寺境内全体に仏の世界を再現してしまいます。
東の空に薬師さんの「浄瑠璃世界」、西の空には阿弥陀さんの「極楽浄土」が存在するという仏界になぞらえて、
敷地の東に本堂の薬師堂、西には浄土堂を造り、その真ん中に、現世を表す池を配置したのです。

極めつけは浄土堂を舞台に施された特殊演出。


堂内に西日が差し込み、
陽光が床面に反射、
朱に彩られた幾重もの梁が、空間を赤い光で満たします。
その光を全身に受け、暗い堂内にそびえた三尊像が、煌々と光り輝くのです。


そこには確かに阿弥陀来迎の姿がありました。

命の陽が地平の彼方へ堕ちようとするその瞬間、
西の空から朝日の如く現れて、
あまねく世界を後光の光で照らしながら、衆生を極楽浄土へ導くために来迎した、阿弥陀如来の姿でした。

見るものを現世において浄土に誘う。
それが名プロデューサー、重源上人の目論見だったのです。

しかし、見事に再現された浄土の秘密は、西日と三尊像だけにあったのではありません。
この浄土堂の構造こそ、演出効果を最大限に引き出すために、なくてはならないものなのでした。
 
  〜 つづく 〜