何のえにしか伎芸天(秋篠寺1)
◉不思議な魅力
ぼくが見仏にハマるきっかけとなった仏像
「伎芸天(ギゲイテン)」
のはなし。
去年の秋、ぼくは仏像なんかには、何の興味もなかったんです。
たまたまその日、奈良市の西部にある
「秋篠寺」
へ両親を連れてふらっと紅葉狩りにでかけたのでした。
せっかく来たんだからと、あまり期待せず、古びた薄暗い本堂に入りました。
ホコリだかお香だかのまじりあった匂い。嫌いではありません。
本堂の本尊は、中央にどーんと鎮座する薬師如来。
病気を治してくれる仏さまです。
ところがぼくは、そんな仏像群の一番端でひっそりと異彩を放っていた一体の像に釘付けになり、暫く動けなくなりました。
それが伎芸天だったんです。
彼女は実に異彩を放っていました。
少なくともぼくには異彩に見えました。
親にいったら、ふうんとだけ言って、一通り仏像を見たあと本堂を出ていきました。
でもぼくは暫くじっとその仏像を見ていました。
技法的にも美術的にも、もっと優れた仏像は他にいくらでもあるのに。
仏像に無関心だったぼくを、これほどまでに引き付けた伎芸天の魅力は一体何なのか。
男性とも女性ともつかない妖艶な容姿、しなやかな指、母親のような優しい表情…?
いや、そんなことではなく、もっと包括的なものなのです。
ずっと考えているのですが、答えは出ません。
◉伎芸天にとりつかれた人々
秋篠寺では、たくさんの歌人が歌を詠み、それが境内のそこ此処に歌碑として残されています。
そのなかで、ふと川田順という人が詠んだ句を読んだとき、ぼくはもう少しで、お〜!って叫びそうになりました。。
「諸々の み佛の中の伎芸天 何のえにしぞ われを見たまふ」
つまり、"伎芸天さま、何故きみは、ずっとぼくを見ているの…?"
えー…、とってもアブナイ句です。
嵐のライヴとかで、
「キャー、二宮くん、わたしを見たわ〜!」
「誰も見てねーよバカ」
みたいな。
でも伎芸天を目の前にしたぼくの気持ちは、まさにこの句のまんまだったのです。
そーか、そーか、あんたもそう思いますか〜。って、川田さんとやらと、一緒に呑みたくなりました。
見るものを虜にする、何かとっても不思議な力を、伎芸天は持っているのだと思います。
つづく。