十一面サンタの仏像ばなし

大好きな仏像の魅力を、独断と偏見で書き綴ります。

ワク!ドキ! 御朱印集め

前回の続き。

御朱印は一種のくじ引き的要素を孕んでいます。
手渡されるまで、どんなものが出てくるかの分かりません。

文言もデザインも体裁も、チョーカッコイー御朱印は特等、子供が書いた方がまだましなザンネン字でテキトーに書いてるものは末等、もしくはハズレ。
(あくまで御朱印における個人的な感想で、当然お寺や仏像の価値や評価とは無関係です)

もらったものが末等だからといって、その寺の御朱印がすべてそうだとは限りません。
その日の担当のお坊さんによって、レベルは変動する場合もあります。

当然、達筆で書き慣れた方が書くと上位ランクのものができあがるし、
決して達筆でなくとも、何とも言えないアジがあって、
ぼくの琴線に触れたものは上位に入ります(例えば画像)。

御朱印のサンプルを貼り出しているお寺も、最近は増えていますが、
見本の人と、その日の担当者が同じだとは限りません。

御朱印所が複数箇所あって、同じ御朱印でも、どこに申し込むかによってレベルがガラッと変わるところもあります。

先代の和尚が書いたものを見本に貼ってあるところや、
毛筆を使える人材がおらず、先代が書き置きしてある半紙や印刷物を渡されるお寺も。

筆ではなく墨が切れた100円の筆ペンで、薄いカスカスな字を平気で書いてくるのもあって、こんなのは大ハズレ。
上手下手以前の問題です。

また、御朱印本来の意味である朱いハンコ
(だから御朱印は「書いてもらう」ではなく「押してもらう」もの)
にも当たり外れがあります。
朱肉台の朱肉を補充してなくて文字が擦れまくっていたり、ミゾがつまっていて印章が潰れてしまっているものはハズレ。

せっかく中身はよくても、ごく稀に、書いた直後に御朱印帳を閉じるという非常識な人もいます。
紙を1枚挟むという配慮もなく、隣のページに墨が写ってしまって台無しです。

もともと御朱印は納経者にクレてやるものという、上から目線の性質があって、そのスタンスが今でもつづいているのだと思いますが、
お寺自体の評判も落ちるでしょうし、御朱印をあまり蔑ろにしないでほしいと願うのであります。

家宝にしたい上質なものや、泣きたくなるほどひどいもの。
どれでもみんな300円!
何が出るのかワクワク!ドキドキ!
悲喜こもごもの御朱印集め。

一般のスタンプラリーより抜きん出た、楽しみ方のひとつだと思っています。